台子(だいす)

台子(だいす)とは

本格茶室に欠かせない格式ある茶道具、台子

天と地二枚の板を四本の柱で繋いだ台子。一見簡素な構造の茶道具ながら、その造りは茶室の造作にも通じ、主に禅寺での茶の湯の作法を支えてきました。台子の下段には水指、風炉、釜などの茶道具が飾られ、上段で閉じられた間を座敷の中の「空間」と捉えます。簡素な空間の中に茶の湯の世界観を凝縮するという意味で大切な茶道具である台子は、文永四年(1267)に、宋から南浦紹明(なんぽしようみよう)が日本へと持ちかえったといわれています。
その際はおおよそ畳一間分の幅があり大きなものでしたが、禅寺の茶の湯の中で徐々に今のサイズと同等になりました。伝来の当初は仏具としての意味合いが強く、天板と地板からなる構造は和室の床の間と同じく空間に精神を容れる役割を担っています。

台子の構造と名前、骨董として利用する場合の注意点

台子の構造と名前

台子の板の上段を天板、下段は地板と呼ばれます。四隅を支える柱の一本一本にそれぞれ別の名が付けられているのが、簡素な事物の中にも明確な役割を求める日本文化をよく表します。手前の左右をそれぞれ勝手柱、客柱と呼び、奥は左右それぞれ角柱、向柱と呼ばれます。

骨董として利用する場合の注意点

台子の種類は様々ですが、基本のもの以外に流派ごとに好みの造作があり、裏千家では最高位を表す真の行台子手前などでひときわ存在感が高まります。格調高い茶事に利用されるものの為、取扱には細心の注意が必要です。他の茶道具と同じく湿気や埃などには弱く、特に漆塗りの真台子の場合温度管理などには注意が必要です。茶室のある場合その中で通常の茶道具と同じように管理できますが、骨董の収集時純粋に棚として利用する場合、風通しのよい部屋での管理が必要です。特に支柱が竹の竹台子は、真台子と比べて脆い部分があります。

台子の歴史と種類

台子の歴史

文永四年に伝来後、台子は福岡県にある崇福寺に伝わり、その後天龍寺の夢窓疎石により点茶に用いられたとの説が有力です。夢窓疎石は臨済宗の禅僧ですが、室町幕府建立の権勢力を活かし庭園設計と茶の湯にも多くの影響を残しました。また、その書は今も茶事に使われる事が多々あります。その後15世紀末までに、台子は一間の大きさから小型化し、現在の形に近くなりました。

台子の種類

◆竹台子 -種類などを解説するときは、種類ごとに項目を作る-
台子の種類としては、真塗りを施した黒い真台子の他、足利氏側近の村田珠光が室町時代 に考案したとされます。
侘び茶の考案者であった村田珠光による竹台子は、千利休に引き継がれました。ここで台子を用いた手前の格式はより高められ、豊臣秀吉を通じて秘伝化されます。

◆高麗台子 -種類などを解説するときは、種類ごとに項目を作る-
流派により様々な意匠を持ちます。

台子手前の作法

秘伝である台子手前は豊臣秀吉によって七人衆に伝授され広まります。現代の茶事では、秘伝化の流れを受け裏千家における奥義として台子手前が行われ、様々な所作の中での台子は茶の湯の空間性を活かす道具として重んじられます。許状皆伝の際に、最高位として真之行台子手前が行われる事からもその格式は窺えます。茶道の中で重んじられる所作をすべて活かし、客人に茶を振る舞う動作の集大成とも言われます。この稽古後、茶名を貰う事が一般的である事を考えると点前の作法をしっかりと振り返る事が必要です。前段階の行之行台子点前も含め奥義とされている台子点前は、茶道教室などで門外不出とされるため、作法はそれまで習ったことを茶道指導者の前で再現することが大切です。精神性を表す持つ台子を前にすると、引き締まった静謐な気持ちで臨む事が出来るでしょう。

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