茶道の歴史④ 千利休について(安土桃山時代)

茶道を押えるならまずは千利休から

茶道についての知識を深めるのであれば、千利休の存在は欠かせません。
千利休は戦国時代から安土桃山時代にかけて活躍した、商人であり茶人である人です。
茶道をあまりよく知らないという人でも知っているのが千利休でしょう。
茶道を語るのに欠かせない千利休ですが、生まれた時から茶人であったわけではありません。
もともとは、商売上手な商人だったのです。

堺の魚屋に生まれて裕福な家庭で育った利休は、若くして父親を亡くし、その家の当主となって商売を成功させました。
当時、商人の有力者としてさらに活躍していくためには、付き合いが必要不可欠で、それが茶道だったのです。
付き合いとして始めた茶道でしたが、たちまち利休は茶道にのめりこみ、武野紹鴎の弟子として将来を有望される茶人となったのです。

そして、利休の茶道の腕前、センスを買われ、織田信長や豊臣秀吉といった大物に仕える茶頭を務め、様々な茶会を取り仕切る大物茶人へと成長していったのです。
しかし、利休のこうした功績は、現代の私達が知る茶道の千利休ではありません。
現代の茶道の基盤となっている茶道を生み出したのは、60歳を過ぎてからのことなのです。

現代に続く千利休の茶道とは

千利休が生み出した茶道の前までは、侘びさびという言葉よりも、華やかで豪華な中国文化というイメージが強かった茶道です。
戦国時代、武将の手柄の褒美として名物茶器を与えられていたこともあり、茶道において価値があったのは当時の中国の茶器であり、茶道具でした。
しかし、侘びさびの精神を究めようと思った千利休は、そうした中国の華美な茶器や茶道具は一切排除し、日本で作る素朴でシンプルな、合理的なデザインの茶器や茶道具へと転換していきました。
さらに、広々とした豪華な茶室も、質素で最小限の空間に変え、日本の四季に寄り添った、まさに自然と共にある茶道を目指していったのです。

華やかな茶道から素朴な茶道へ

これまでの華やかで豪華な茶器が並んだ茶道の世界において、千利休が生み出した質素で素朴な茶道はあまり受け入れられなかったのではないかと思う人は多いでしょう。
しかし、千利休が仕えていた豊臣秀吉は、精神面に注目した侘びさびの茶道に共感し、また、千利休の茶道は政治的利用価値も高いと判断され、積極的に取り入れられていったのです。
千利休の茶道は、侘びさび精神に基づいた合理的な茶道ですが、言い換えれば密談にはうってつけの茶道でもあったのです。
豊臣秀吉にとっては、狭い空間でプライベートな茶会を開く事ができ、密談がしやすい事に加えて、秀吉自らがお茶を点ててそのまま客人にふるまう事で、親近感を持たせることが出来ます。
こうした利用のしやすさもあって、千利休の茶道はこれまでとは正反対の茶道でありながら、広く普及していったのです。
千利休はまさに、茶人でありながら商人としての才覚も生かして成功を収めた人物と言えるでしょう。

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