茶道の歴史⑤ 江戸時代の茶道

庶民へと広がる江戸時代の茶道

現代の私達にとって、茶道とは興味があるなら誰でも学び、楽しめるものですが、江戸時代まではそうではありません。
大名や有力商人などごく一部の、限られた人達のものであり、庶民には縁のない存在でした。
しかし、そんな閉じた世界であった茶道も、江戸時代に入り町人の経済的成長とともに飛躍的に拡大し、階級を超えて誰もが楽しめる茶道へと変化していったのです。
そして、そんな新しい人達を受け入れた流派が、三千家と呼ばれる千利休系の流派の茶道です。
千利休の意思を受け継ぐ三千家は、階級の垣根を越えて発展していったため、現代でも有力流派として活躍しているのでしょう。
茶道で家元制度が確立したのもこの時期で、これまで閉じた世界であった為に門弟の人数も限られていたのですが、階級に関係なく誰もが出来るとなれば、門弟の人数も格段に増えてしまいます。
そこで導入されたのが家元制度で、現在数えきれないほどの流派があるのもそのためなのです。

抹茶の茶道から煎茶の煎茶道へ

煎茶道は茶道と同様に歴史の長い茶の湯と思われていますが、実際は茶道が幅広い階級の人達に広まった頃からです。
茶道が庶民の生活の中にも浸透していくにつれ、形式的すぎて堅苦しい抹茶の茶道よりも、もっと気軽に楽しめるお茶を求める人が増えてきました。
そこで注目されたのが煎茶です。
煎茶は既に庶民の飲料物となっていたのですが、その煎茶にも道を求めようと、煎茶道が生まれたのです。
このように、江戸時代中頃からは、茶の道は形を変えながら日本人の教養であり趣味であり、習い事の一つとして広まっていったのです。

茶道と食事の以外な関係

茶道と言えば、抹茶に和菓子という組み合わせの茶会をイメージする人は多いと思いますが、実際は食事をした後に抹茶を頂くのが本当の茶道なのです。
そして、千利休が生み出した茶道では、食事は一汁三菜を基本としたため、茶道が広く普及した江戸時代から、日本人の食事は一汁三菜が基本として定着していったのです。
この一汁三菜の基本は現代にも受け継がれていて、私達が献立を考える時、ご飯に汁物にメインディッシュを考えるのに通じているのです。
このように、日本人の生活の基本をさかのぼると、茶道に通じている事がほとんどなのです。
今では習い事や趣味としてしか茶道の世界に触れる事はありませんが、私達日本人にとって茶道とは、当たり前のように存在している文化なのです。
興味のある人にもない人にも、全ての人に通じているのが茶道であり、切っても切れない縁で結ばれているという事を理解しておきましょう。

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