茶道の歴史① お茶のはじまり~日本にお茶が伝わるまで

茶道の始まりは唐への留学

お茶はや茶道というと、日本の侘びさび文化の象徴とも言える存在ですので、日本で生まれ育ってきたものと思っている人は多いのです。
しかし、実は中国から伝わってきたものです。
唐の時代の中国は、当時あらゆる文化において最先端を行く国として知られていました。
そのため、日本からも様々な人達がその文化を学ぶべく、唐へ留学し、それまでの日本にはない新しい文化について学び、日本に持ち帰ってきていたのです。
その一つがお茶です。
奈良時代から平安時代にかけて、最澄や空海といった留学僧が唐でお茶という存在を知り、お茶の種を日本に持ち帰って栽培したのが始まりです。
しかし、唐から持ち込まれたのはお茶の文化ではなくお茶の種そのものですので、当時から今の茶道に通じるお茶の文化が育まれたわけではありません。
当時のお茶は漢方薬の一種であり、必要な時にお茶の葉を煎じ、薬として飲まれていました。
もちろん誰もがお茶を飲めたわけではなく、ごく一部の、限られた階級の人のみがお茶の存在を知り、飲まれていました。
そして鎌倉時代の後半から室町時代の始めにかけて、京都の茶園を中心として、全国的にお茶の栽培が行われるようになり、幅広い人達にお茶という存在が知れ渡ったことで、今の茶道に通じるお茶の文化が育成され始めたのです。
最澄や空海と言えば、歴史の教科書の中では天台宗や真言宗を開いた人物として紹介されていることがほとんどです。
しかし、実は茶道の文化に通じる第一人者でもあったのです。

薬としてのお茶から茶道としてのお茶への変化

お茶が貴重な薬ではなく、誰もが楽しめるお茶、茶道に通じるお茶へと変化していったのは、鎌倉時代の後半に入った頃からです。
この頃になると、お茶は全国各地で栽培されるようになり、武士階級など幅広い層の人達の生活の中にもお茶の文化が浸透し始めました。
特に、武士たちの間では茶寄合や茶歌舞伎などが盛んに行われ、抹茶法などお茶の文化が急速に発展していったのです。
茶寄合や茶歌舞伎とは、数種類のお茶を飲み比べてお茶の産地を言い当てる遊びであり、武士たちの交流の場でもありました。
お茶の産地を言い当てる遊びでは、細かな産地まで言い当てるのではなく、最高級として知られる京都郊外で摂れたお茶を本茶と呼び、それ以外の産地のお茶を非茶と呼んで区別し、本茶と非茶を当てるゲームを行っていました。
また、この他にも座敷飾りをしたり、唐物器物で茶会を楽しむなど、今の茶道に通じるお茶の文化が遊びとして広まっていったのです。
こうした遊びが幅広い層の人達に楽しまれた事がきっかけとなって、その後茶道へと展開していくようになるのです。

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