茶道の歴史② 茶道のはじまり(平安~室町時代)

遊びから始まった茶道の文化

唐から伝わってきたお茶は、初めは薬として、次第に飲みものとして徐々に広まり、鎌倉時代後半になると、武士階級の間で茶寄合や茶歌舞伎などお茶を用いた遊びが広まり、だんだんとお茶の文化が日本に浸透していきました。
そして、鎌倉時代後半から室町時代にかけて、村田珠光や武野紹鴎、千利休といった茶人によって、今に通じる茶道の文化が形成されていったのです。

茶道の基本の「抹茶」はどこから来たのか?

茶道はお茶の文化ですが、お茶といっても茶葉をそのまま使うのではなく、粉末状にした抹茶が使われます。
そして抹茶もまた、日本で生まれたものではなく中国から伝わってきたものなのです。
抹茶を日本に伝えたのは栄西禅師と言われています。
栄西禅師はもともと臨済禅を習得するために当時の中国へ留学し、一緒に抹茶法を学んで日本に戻りました。
抹茶法とは、茶葉をうすを使って粉末化し、沸騰したお湯で溶かして飲むお茶です。
始めは一部の階級の人だけの飲み方でしたが、武家階級の人々の間で広まったことでより多くの人の生活の中にも抹茶が親しまれ、茶道の文化の基盤ともなったのです。

茶道の歴史に欠かせない3人の茶人

茶道の歴史を語る上で、欠かせないのが村田珠光、武野紹鴎、そして千利休の3人の茶人の存在です。
まず、村田珠光は茶道の茶祖とも呼ばれていて、今の茶道の基盤を整えた最初の茶人として知られています。
室町時代の中頃、遊びとして広まっていた茶の湯の流れを整え、能阿弥の精神を取り入れて茶の湯の基礎を作り、作法を定め、珠光流の茶道を確立したのが村田珠光なのです。
そして、そんな珠光流の茶道の考えを受け継ぎながら、さらに茶道の世界を盛り上げ、より多くの人に茶道の世界を広めるきっかけを作ったのが武野紹鴎です。
武野紹鴎は中興の祖としても知られていて、これまで学んできた茶道の基礎を大切にしながらも、独自の視点でさらに作法をよりよくするべく、創意工夫を重ねた茶人です。
こうした茶道の文化を、侘びさび精神を基にさらに合理的にまとめあげたのが千利休です。
千利休は武野紹鴎の晩年の弟子として、若い頃からこれからの茶人として注目されてきました。
しかし、千利休は若い頃から独自の視点で茶道を変えてきたわけではありません。
千利休は茶道を完成させた茶人と言われていますが、実際に様々な功績を残したのは60歳を過ぎた頃からです。
今や茶道には数えきれないほどの流派がありますが、数ある流派の大本となっているのは千利休です。
千利休は自分の考える茶道を確立しようと動き出してから、わずか10年足らずで完成させた、偉業を成し遂げた茶人でもあるのです。

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